2013年02月14日
いつまで
ここ最近、母の所に行く頻度が減った。
会社を手伝うようになって、五時に帰宅し、母の晩御飯を作って又紀ノ川を渡り、身の回りの世話をして帰宅すると8時半を回る。
何も言わないで待っててくれる旦那さんに申し訳ないと思いながら、夕食の支度をし、私達の食事は9時を回ってからとなる。
さすがに身体が悲鳴をあげて、昨年末は体調を崩す日が多くなった。
こんな事をしてるとあなたの身体が持たないよ!と忠告してくれる人もいた。
確かにそうだ。
私が倒れても実家の人は誰も助けてくれない。
迷惑をかけるのは私の家族である。
今年に入ってから母の所にいくのは週に二回位と決めた。
兄がいるし、兄嫁もいる。
各日に行ってた時も、それが当たり前になり、兄夫婦からは感謝の言葉もなかった。
母が入院中も、私が家の用事で病院に行けなかった時も、非常階段に兄に呼びだされ、訳のわからない理由で罵声を浴びせられた。
あれ以来、兄とは一線をひくようになった。
昨日、母の所に行くと10年前に亡くなった父の悪口を又延々と語る母。
今から20年前にある出来事がきっかけで家庭内離婚となった父と母。
ガンが進行して入院した時も、最期を看取ったのも総て私独り。
おまえは父に可愛いがってもらったのだから、最期を看取るのは当たり前!私は最後まであの人の所には行かないからという言葉を私に投げ、とうとう父が亡くなっても病院に来なかった母。
父の亡骸が家に帰った時も顔にかけられた白い布を取ると「あら、ご無沙汰やね」と言った母。
父が亡くなって10年。
又あの頃の思いが蘇ってきたのか、昨日はずっと父の悪口三昧だった。
情けなかった。
人は生きてきたように死んでいくと聞いた事があるが、人生の最終段階になってもなお、父を憎む母を見て哀しい想いでいっぱいになった。
会社を手伝うようになって、五時に帰宅し、母の晩御飯を作って又紀ノ川を渡り、身の回りの世話をして帰宅すると8時半を回る。
何も言わないで待っててくれる旦那さんに申し訳ないと思いながら、夕食の支度をし、私達の食事は9時を回ってからとなる。
さすがに身体が悲鳴をあげて、昨年末は体調を崩す日が多くなった。
こんな事をしてるとあなたの身体が持たないよ!と忠告してくれる人もいた。
確かにそうだ。
私が倒れても実家の人は誰も助けてくれない。
迷惑をかけるのは私の家族である。
今年に入ってから母の所にいくのは週に二回位と決めた。
兄がいるし、兄嫁もいる。
各日に行ってた時も、それが当たり前になり、兄夫婦からは感謝の言葉もなかった。
母が入院中も、私が家の用事で病院に行けなかった時も、非常階段に兄に呼びだされ、訳のわからない理由で罵声を浴びせられた。
あれ以来、兄とは一線をひくようになった。
昨日、母の所に行くと10年前に亡くなった父の悪口を又延々と語る母。
今から20年前にある出来事がきっかけで家庭内離婚となった父と母。
ガンが進行して入院した時も、最期を看取ったのも総て私独り。
おまえは父に可愛いがってもらったのだから、最期を看取るのは当たり前!私は最後まであの人の所には行かないからという言葉を私に投げ、とうとう父が亡くなっても病院に来なかった母。
父の亡骸が家に帰った時も顔にかけられた白い布を取ると「あら、ご無沙汰やね」と言った母。
父が亡くなって10年。
又あの頃の思いが蘇ってきたのか、昨日はずっと父の悪口三昧だった。
情けなかった。
人は生きてきたように死んでいくと聞いた事があるが、人生の最終段階になってもなお、父を憎む母を見て哀しい想いでいっぱいになった。