2011年04月05日
旅立ちました
4月3日はお爺ちゃんの日になりました
ガン告知から三年。よく頑張ってくれました。
3月4日にこらえきれない痛みが出てきて入院。
主治医より痛みをやわらげる緩和治療をしていきますと告げられ、経口薬でモルヒネに近い薬を投薬。薬で意識朦朧となりながらも、どこかしっかりしていたお爺ちゃん。
夜中に病室を抜け出してナースステーションに足取りの悪い状態で行き、廊下で転び前歯を折る事件が発生。
それをきっかけに朝から昼過ぎはお婆ちゃん、昼過ぎから夕方は私、夕方から夜には義姉とローテーションを組んで介護にあたっていました。
長年、ずっと変わらずにいた55kの体型もみるみるうちに痩せて
水を飲んでも嘔吐してしまい、栄養は点滴だけ。それでも知り合いが来たらぼーっとしてるはずなのに、笑顔で手を振っていたお爺ちゃん。
亡くなる2日前に私が手をマッサージしていると「嫌な思いをさせたなあ」と私に言ってくれました。
お嫁に来て27年本当にいろんな事がありました。
私が封印してきた心のわだかまりはこのお爺ちゃんの言葉で一瞬のうちに解けたような気がします。
言葉には出さなかったけど、お爺ちゃんなりにずっと気にかけてくれていたんだと思うと、本当に嬉しく自分がこだわっていた昔の出来事の思いを恥ずかしく思いました。
昨年のCD発表会には、体調の悪い中会場に来てくれて一部だけでしたが初めて私の歌を聴いてくれました。
嫁が歌を唄ってたなんて知らなかったお爺ちゃんは、さぞかしびっくりした事でしょう。
翌日お礼を言いにいくと、「びっくりした〜あんな声どこからでるんや」と笑顔で言ってくれていました。
入院してちょうどひとつきめの4月3日午前2時4分にせっかちなお爺ちゃんは誰も待たずに先に逝ってしまいました。
看護士さんがお爺ちゃんの身体に付けていた機械の異常音がなったので病室に駆けつけて直ぐに呼吸が止まったそうです。せっかちでどこかシャイだったお爺ちゃんは、皆に見送られるのが恥ずかしかったのかもしれません。
家に帰ってきたお爺ちゃんは日増しに笑顔になり、不思議な事に血のけのなかった唇も納棺の時にはピンク色になっていました。
お酒が大好きだったお爺ちゃんだったから、口を潤す水をお酒に変えてみんなで唇を潤していたから、ほろ酔い気分で旅立って行ったのでしょう。
お世話ができて本当によかったです。
このひとつきの間、お爺ちゃんと過ごした時間は私の生涯の宝物になりました。
ブログを一時閉鎖させていただいたのも、上記のような理由でした。
葬儀は家族のみで執り行いました。
姿形はなくなっても、お爺ちゃんは天から私達をサポートしてくれていると思います。
なぜわかってもらえないんだろうと辛かった時期もありました。意見の食い違いもいっぱいありました。
関係的には平穏ではありませんでしたが、最後は全てよい思いでになりました。
今は感謝でいっぱいです。
お爺ちゃん本当にありがとう。
支えて下さった皆さんに心からお礼を言います
ありがとうございました
これからも頑張っていきますので、宜しくお願いいたします
ガン告知から三年。よく頑張ってくれました。
3月4日にこらえきれない痛みが出てきて入院。
主治医より痛みをやわらげる緩和治療をしていきますと告げられ、経口薬でモルヒネに近い薬を投薬。薬で意識朦朧となりながらも、どこかしっかりしていたお爺ちゃん。
夜中に病室を抜け出してナースステーションに足取りの悪い状態で行き、廊下で転び前歯を折る事件が発生。
それをきっかけに朝から昼過ぎはお婆ちゃん、昼過ぎから夕方は私、夕方から夜には義姉とローテーションを組んで介護にあたっていました。
長年、ずっと変わらずにいた55kの体型もみるみるうちに痩せて
水を飲んでも嘔吐してしまい、栄養は点滴だけ。それでも知り合いが来たらぼーっとしてるはずなのに、笑顔で手を振っていたお爺ちゃん。
亡くなる2日前に私が手をマッサージしていると「嫌な思いをさせたなあ」と私に言ってくれました。
お嫁に来て27年本当にいろんな事がありました。
私が封印してきた心のわだかまりはこのお爺ちゃんの言葉で一瞬のうちに解けたような気がします。
言葉には出さなかったけど、お爺ちゃんなりにずっと気にかけてくれていたんだと思うと、本当に嬉しく自分がこだわっていた昔の出来事の思いを恥ずかしく思いました。
昨年のCD発表会には、体調の悪い中会場に来てくれて一部だけでしたが初めて私の歌を聴いてくれました。
嫁が歌を唄ってたなんて知らなかったお爺ちゃんは、さぞかしびっくりした事でしょう。
翌日お礼を言いにいくと、「びっくりした〜あんな声どこからでるんや」と笑顔で言ってくれていました。
入院してちょうどひとつきめの4月3日午前2時4分にせっかちなお爺ちゃんは誰も待たずに先に逝ってしまいました。
看護士さんがお爺ちゃんの身体に付けていた機械の異常音がなったので病室に駆けつけて直ぐに呼吸が止まったそうです。せっかちでどこかシャイだったお爺ちゃんは、皆に見送られるのが恥ずかしかったのかもしれません。
家に帰ってきたお爺ちゃんは日増しに笑顔になり、不思議な事に血のけのなかった唇も納棺の時にはピンク色になっていました。
お酒が大好きだったお爺ちゃんだったから、口を潤す水をお酒に変えてみんなで唇を潤していたから、ほろ酔い気分で旅立って行ったのでしょう。
お世話ができて本当によかったです。
このひとつきの間、お爺ちゃんと過ごした時間は私の生涯の宝物になりました。
ブログを一時閉鎖させていただいたのも、上記のような理由でした。
葬儀は家族のみで執り行いました。
姿形はなくなっても、お爺ちゃんは天から私達をサポートしてくれていると思います。
なぜわかってもらえないんだろうと辛かった時期もありました。意見の食い違いもいっぱいありました。
関係的には平穏ではありませんでしたが、最後は全てよい思いでになりました。
今は感謝でいっぱいです。
お爺ちゃん本当にありがとう。
支えて下さった皆さんに心からお礼を言います
ありがとうございました
これからも頑張っていきますので、宜しくお願いいたします