2011年04月13日
お花
UCの会毎に綺麗なお花を持ってきてくださるTさんという方がいらっしゃいます。
UCの患者さんたちがこのお花を見て癒されますようにと 例会が行われる日にいつも
机の上に置いてくださっています。
このお花を囲んで 今日もいろんなお話に花が咲きました。
TさんはUCの患者さんではないのですが、クリニックにいらしている患者さんです。
このクリニックでは 患者さん同士のご縁も深くて 本当に素敵なクリニックだなあと思います。
身体だけを見るのではなく 心の状態も常に見てくれている 数少ないクリニックだと思います。
このクリニックでお手伝いができること 本当に幸せに思います。
2011年04月13日
UCの会
本日はクリニックにて 2か月に一度行われているUCの会の日でした。
UCとは潰瘍性大腸炎(かいようせいだいちょうえん、Ulcerative colitis)の英語読みを略して
UCといいます。
今日の例会には 堺、大阪、京都、名古屋からの患者さんが来られていました。
人数が少なめだったのですが、Nドクターのいろんな話で盛り上がりましたよ~
名古屋から来られているHさんがアカペラで歌を披露してくださったり、Hさんが
差し入れしてくださった「きんつば」を皆さんと一緒に頂きながら
楽しい時間を過ごさせていただきました。
今年の2月より この会のお手伝いをさせていただいているのですが、 みなさん前向きで
勇気や元気をもらう事のほうが多い私です。 みなさんとってもいい笑顔でしょ♪
又再来月お会いできるのを楽しみにしています~♪
2011年04月12日
孫!?
いえいえ、かなり年下の友達の娘さんです
本日やっとお祝いに行ってきたんです。
笑顔よしのかわいいあ○○ちゃん~
ホントにかわいい!
ぐずる事もなく、私がお邪魔している間は終始ご機嫌でした。
大きくなるんやで~
本日やっとお祝いに行ってきたんです。
笑顔よしのかわいいあ○○ちゃん~
ホントにかわいい!
ぐずる事もなく、私がお邪魔している間は終始ご機嫌でした。
大きくなるんやで~
2011年04月12日
2011年04月12日
2011年04月11日
夜桜
岸和田城の夜桜です。
5月に結婚する長男のお式で、旦那さんがモーニングを借りるので、その衣装合わせに岸和田まで行ってきましたo(^-^)o
帰り道、岸和田城の夜桜を堪能してきました。
今年の桜は例年より、一段と咲き誇っているように思います。
暫くは、桜をみると義父を思いますが…
いつまでも悲しんでいると義父に叱られそうですね
綺麗でした。
5月に結婚する長男のお式で、旦那さんがモーニングを借りるので、その衣装合わせに岸和田まで行ってきましたo(^-^)o
帰り道、岸和田城の夜桜を堪能してきました。
今年の桜は例年より、一段と咲き誇っているように思います。
暫くは、桜をみると義父を思いますが…
いつまでも悲しんでいると義父に叱られそうですね
綺麗でした。
2011年04月10日
ピュアハートコンサート
西ノ庄にある、綜愛苑で行われた第4回ピュアハートコンサートに呼んで頂いて歌わせてもらいました。
恭やん、空間倶楽部の隆君、音響をしてくださった羅布さん、オカリナ奏者の橋本かなさん、恭やんのマーネー順ちゃんと美味しいお昼ご飯をいただき、控え室で和気あいあいと話をしていたら、懐かしい昔の知り合いが尋ねてきてくれました。
息子の小学校時代のママ友達です。
3日に義父が亡くなり、葬儀やなんやかやでバタバタしていて、殆ど唄っていなかったので、声がでるか不安でしたが、懐かしい再会で、頑張って歌おうと力がはいりました。
綜愛苑の利用者さんに手を引かれて舞台に上がります。
舞台の飾り付けを皆さん一生懸命してくださったんですよね
とても素敵で、その地点で私の涙腺は緩みっぱなし。
一部は恭やん&空間倶楽部の皆さんからスタートです。
ノリノリになった利用者さんは舞台の前で身体全体で楽しさ、喜びを表現してくれました。
その姿を見て、又ウルウル
1部が終わり、利用者さん達の音楽クラブの皆さんがなんと!風の道標と、れんげばたけにてを唄ってくれたのです。
一生懸命練習してくれたんよね~それで又ウルウル
ホントに楽しい一日を過ごさせて頂きました。
機会があれば、又遊びに行かせてもらいたいです
恭やん、空間倶楽部の隆君、音響をしてくださった羅布さん、オカリナ奏者の橋本かなさん、恭やんのマーネー順ちゃんと美味しいお昼ご飯をいただき、控え室で和気あいあいと話をしていたら、懐かしい昔の知り合いが尋ねてきてくれました。
息子の小学校時代のママ友達です。
3日に義父が亡くなり、葬儀やなんやかやでバタバタしていて、殆ど唄っていなかったので、声がでるか不安でしたが、懐かしい再会で、頑張って歌おうと力がはいりました。
綜愛苑の利用者さんに手を引かれて舞台に上がります。
舞台の飾り付けを皆さん一生懸命してくださったんですよね
とても素敵で、その地点で私の涙腺は緩みっぱなし。
一部は恭やん&空間倶楽部の皆さんからスタートです。
ノリノリになった利用者さんは舞台の前で身体全体で楽しさ、喜びを表現してくれました。
その姿を見て、又ウルウル
1部が終わり、利用者さん達の音楽クラブの皆さんがなんと!風の道標と、れんげばたけにてを唄ってくれたのです。
一生懸命練習してくれたんよね~それで又ウルウル
ホントに楽しい一日を過ごさせて頂きました。
機会があれば、又遊びに行かせてもらいたいです
2011年04月05日
旅立ちました
4月3日はお爺ちゃんの日になりました
ガン告知から三年。よく頑張ってくれました。
3月4日にこらえきれない痛みが出てきて入院。
主治医より痛みをやわらげる緩和治療をしていきますと告げられ、経口薬でモルヒネに近い薬を投薬。薬で意識朦朧となりながらも、どこかしっかりしていたお爺ちゃん。
夜中に病室を抜け出してナースステーションに足取りの悪い状態で行き、廊下で転び前歯を折る事件が発生。
それをきっかけに朝から昼過ぎはお婆ちゃん、昼過ぎから夕方は私、夕方から夜には義姉とローテーションを組んで介護にあたっていました。
長年、ずっと変わらずにいた55kの体型もみるみるうちに痩せて
水を飲んでも嘔吐してしまい、栄養は点滴だけ。それでも知り合いが来たらぼーっとしてるはずなのに、笑顔で手を振っていたお爺ちゃん。
亡くなる2日前に私が手をマッサージしていると「嫌な思いをさせたなあ」と私に言ってくれました。
お嫁に来て27年本当にいろんな事がありました。
私が封印してきた心のわだかまりはこのお爺ちゃんの言葉で一瞬のうちに解けたような気がします。
言葉には出さなかったけど、お爺ちゃんなりにずっと気にかけてくれていたんだと思うと、本当に嬉しく自分がこだわっていた昔の出来事の思いを恥ずかしく思いました。
昨年のCD発表会には、体調の悪い中会場に来てくれて一部だけでしたが初めて私の歌を聴いてくれました。
嫁が歌を唄ってたなんて知らなかったお爺ちゃんは、さぞかしびっくりした事でしょう。
翌日お礼を言いにいくと、「びっくりした〜あんな声どこからでるんや」と笑顔で言ってくれていました。
入院してちょうどひとつきめの4月3日午前2時4分にせっかちなお爺ちゃんは誰も待たずに先に逝ってしまいました。
看護士さんがお爺ちゃんの身体に付けていた機械の異常音がなったので病室に駆けつけて直ぐに呼吸が止まったそうです。せっかちでどこかシャイだったお爺ちゃんは、皆に見送られるのが恥ずかしかったのかもしれません。
家に帰ってきたお爺ちゃんは日増しに笑顔になり、不思議な事に血のけのなかった唇も納棺の時にはピンク色になっていました。
お酒が大好きだったお爺ちゃんだったから、口を潤す水をお酒に変えてみんなで唇を潤していたから、ほろ酔い気分で旅立って行ったのでしょう。
お世話ができて本当によかったです。
このひとつきの間、お爺ちゃんと過ごした時間は私の生涯の宝物になりました。
ブログを一時閉鎖させていただいたのも、上記のような理由でした。
葬儀は家族のみで執り行いました。
姿形はなくなっても、お爺ちゃんは天から私達をサポートしてくれていると思います。
なぜわかってもらえないんだろうと辛かった時期もありました。意見の食い違いもいっぱいありました。
関係的には平穏ではありませんでしたが、最後は全てよい思いでになりました。
今は感謝でいっぱいです。
お爺ちゃん本当にありがとう。
支えて下さった皆さんに心からお礼を言います
ありがとうございました
これからも頑張っていきますので、宜しくお願いいたします
ガン告知から三年。よく頑張ってくれました。
3月4日にこらえきれない痛みが出てきて入院。
主治医より痛みをやわらげる緩和治療をしていきますと告げられ、経口薬でモルヒネに近い薬を投薬。薬で意識朦朧となりながらも、どこかしっかりしていたお爺ちゃん。
夜中に病室を抜け出してナースステーションに足取りの悪い状態で行き、廊下で転び前歯を折る事件が発生。
それをきっかけに朝から昼過ぎはお婆ちゃん、昼過ぎから夕方は私、夕方から夜には義姉とローテーションを組んで介護にあたっていました。
長年、ずっと変わらずにいた55kの体型もみるみるうちに痩せて
水を飲んでも嘔吐してしまい、栄養は点滴だけ。それでも知り合いが来たらぼーっとしてるはずなのに、笑顔で手を振っていたお爺ちゃん。
亡くなる2日前に私が手をマッサージしていると「嫌な思いをさせたなあ」と私に言ってくれました。
お嫁に来て27年本当にいろんな事がありました。
私が封印してきた心のわだかまりはこのお爺ちゃんの言葉で一瞬のうちに解けたような気がします。
言葉には出さなかったけど、お爺ちゃんなりにずっと気にかけてくれていたんだと思うと、本当に嬉しく自分がこだわっていた昔の出来事の思いを恥ずかしく思いました。
昨年のCD発表会には、体調の悪い中会場に来てくれて一部だけでしたが初めて私の歌を聴いてくれました。
嫁が歌を唄ってたなんて知らなかったお爺ちゃんは、さぞかしびっくりした事でしょう。
翌日お礼を言いにいくと、「びっくりした〜あんな声どこからでるんや」と笑顔で言ってくれていました。
入院してちょうどひとつきめの4月3日午前2時4分にせっかちなお爺ちゃんは誰も待たずに先に逝ってしまいました。
看護士さんがお爺ちゃんの身体に付けていた機械の異常音がなったので病室に駆けつけて直ぐに呼吸が止まったそうです。せっかちでどこかシャイだったお爺ちゃんは、皆に見送られるのが恥ずかしかったのかもしれません。
家に帰ってきたお爺ちゃんは日増しに笑顔になり、不思議な事に血のけのなかった唇も納棺の時にはピンク色になっていました。
お酒が大好きだったお爺ちゃんだったから、口を潤す水をお酒に変えてみんなで唇を潤していたから、ほろ酔い気分で旅立って行ったのでしょう。
お世話ができて本当によかったです。
このひとつきの間、お爺ちゃんと過ごした時間は私の生涯の宝物になりました。
ブログを一時閉鎖させていただいたのも、上記のような理由でした。
葬儀は家族のみで執り行いました。
姿形はなくなっても、お爺ちゃんは天から私達をサポートしてくれていると思います。
なぜわかってもらえないんだろうと辛かった時期もありました。意見の食い違いもいっぱいありました。
関係的には平穏ではありませんでしたが、最後は全てよい思いでになりました。
今は感謝でいっぱいです。
お爺ちゃん本当にありがとう。
支えて下さった皆さんに心からお礼を言います
ありがとうございました
これからも頑張っていきますので、宜しくお願いいたします